完成しました!!1/700 高速・重雷装駆逐艦 『島風』(最終時)(依頼製作)
完成しましたー!!! 1/700 日本海軍 高速・重雷装駆逐艦 【島風】(最終時)の 完成画像を載せます!!
日本海軍最高速の駆逐艦、史上最強の重雷装駆逐艦、『島風』です。
「島風」は次世代の艦隊型駆逐艦として建造され、その高速性を利用し、目標となる敵よりも有利な位置まで一気に回り込み、船体の中心線に配した3基の「零式5連装魚雷発射管」から、最大3基同時発射で15射線という強力射線を実現できました。しかも、他国の魚雷と比べて、圧倒的に強力な酸素魚雷です。3基の5連装魚雷発射管も、艦の中心に配していますから、両舷、どちらでも15射線の魚雷攻撃が出来ました。
「島から吹いてくる風、または島で吹く風」が艦名の由来の『島風』、まさに高速艦を感じさせる艦名です(*‘∀‘)
『島風』の名は2代目で、初代も、当時の日本海軍の最高速記録を誇っていました。高速艦としての特色の伝統を引き継いだ命名でもありました。
タミヤ製の最新キットをメインにして、各種の島風専用・純正エッチングパーツや、汎用エッチングパーツ、多数の材料を使用し、必要箇所は自作パーツなども用いてスクラッチ製作し、可能な限りディテールアップしました。
今回は、最終時(1944年11月)の仕様にしています。
レイテ沖海戦の後、『島風』が参加した最期の作戦行動、『多』号作戦時の艦容にしています。
1944年11月8日、「第二水雷戦隊旗艦」を継承し実施した、レイテ島のオルモックへの兵員物資輸送作戦でした。
(第3次オルモック輸送作戦とも言われます)
機銃増強や、13号電探が装備され、マストの形状なども竣工時(1943年5月)とは少し変わっています。
出来るだけ画像を載せましたので、是非ご覧下さい!!
(画像はクリックすると高画質でご覧頂けます)




船体全体の塗装は、『島風』が竣工した、「舞鶴工廠」の塗装色で再現しています。舞鶴工廠で使用された塗料は、海軍標準色の中で、もっとも明るい色だと伝えられています。

「舞鶴工廠」は、一等駆逐艦建造において、主導的役割を担い、吹雪型、陽炎型、秋月型、松型、そして島風型など、一番艦を建造し、各工廠へとその技術が伝えられていたそうです。


艦橋の遮風装置は、丸みをお帯びて、やや複雑な形をしていましたが、精密度を上げるべく、フルスクラッチで作りました。
島風は、竣工時より、艦橋上部に22号電探(対水上警戒レーダー、ラッパ状のもの)を装備していたため、奇跡の作戦と言われる、「キスカ島撤収作戦」(1943年7月29日)での活躍が期待され、司令官に指名されました。
新鋭駆逐艦「島風」の高速性能も期待されて、作戦成功に、大きく貢献しました(*^-^*)

戦闘中を想定して砲塔、魚雷を可動させているのに合わせて、
右舷の信号旗は、「回答、C 円形 編成」を表すものを掲げています。

前部煙突と、後部煙突にある白帯は、「第二水雷戦隊」所属であることを表すマーキングです。

『多』号作戦時、島風は、「第二水雷戦隊旗艦」として、活動していました。「司令官 早川幹夫少将」が座乗していましたので、
「少将旗」をマスト最上部に掲げています。
このマストを作るのが、また大変でした~(>_<) 色々なサイズの真鍮線や銅線も組み合わせて、キットのパーツも再利用しながら、作りました。竣工時のマストとは形状が少し違う、後期型のマストになります。

レイテ沖海戦時は、煙突の帯マーキングの下に、「第二水雷戦隊 3番艦」を表す△(三角)の印もあったのですが、『多』作戦時は、旗艦であったため、今回は△の印は付けていません。

『島風』のために開発された、「5連装魚雷発射管」です!
この発射管は、島風以外の艦には、搭載されておらず、重雷装駆逐艦たる特徴の一つです。

魚雷発射管の資料を見ながら、多数の素材を使用に、ディテールアップさせました。側面の水密ドアの形状が少し他と違っていて、作り応えがある部分です。

発射管後ろの、手用ハンドル部分も再現しました。


5連装魚雷発射管を全て左舷に向けています。最大15射線の魚雷に襲われたら、回避が大変だったでしょうね( ;∀;)
そしてこのタミヤのキットは、砲塔や魚雷発射管の取り付けがポリキャップ仕様になっていて、完成後でも、お好きな角度に動かすことが出来ます。良いキットです♪
でも、動かす時には、他の繊細部分を破損させないように、最大限の注意が必要です💦


艦尾部分です。機銃の増備と、煙幕装置を取り付けています。
『島風』最後の戦闘、多号作戦時でも使用されたとのことです。

良く見ると一番後ろに1基ある小さな機銃は、「13㎜単装機銃」です。
94式爆雷投射機と同装填台、投下軌条×2組を設置し、プラ棒を細かく切って作った、爆雷も搭載しました。

本来は、ネームプレートは大戦中塗りつぶされていましが、
艦尾のネームプレートを見るのが好きなので、設置しています。(^^)

「島風」は、高速発揮に有利な少し細長い船体をしています。

島風の主砲、「50口径三年式12.7㎝連装砲D型」です。陽炎型は、「C型」で、最大仰角が40度でしたが、夕雲型と、この「島風」は「D型」で、最大仰角が75度まで引き上げられました。対空戦を考慮してのことです。

ご依頼主様のご希望で、左舷に向けて構えた模型にしています。躍動感がでました(∩´∀`)∩

後部マストのトップヤードの形状には、色々な説があるのですが、今回は、X(エックス)型にしました。特徴が出たと思います。




駆逐艦のアンカーチェーンは、とても細かいです。(*'▽')
ケーブルホルダー後ろの、ブレーキハンドルも再現しました。


艦橋窓のガラス表現が、キラリと光ます。

手との比較です。駆逐艦は、繊細です(;'∀')

「アクリめいと製ケース」に設置です。ぴったりと収まりました。綺麗です♪

5連装魚雷発射管を全て左舷に向けたシーンです。


ウェザリングを施し、仕上げとして模型全体にトップコート(つや消し)の保護コーティング塗装をしています。
レイテ沖海戦の後に、沈没した軽巡洋艦「能代」に代わり、第二水雷戦隊旗艦を継承した島風でしたが、浜波、長波、若月および5隻の輸送船団とともに、1944年11月11日、『多』号作戦での目標地点であるオルモック湾を目前にして、真珠湾攻撃時の日本海軍機の数に匹敵する、350機もの米群艦載機が襲来、3時間にわたって激闘を繰り広げたものの、輸送船団は全滅。島風も、この日午後5時10分、大爆発を起こして波間に消えていきました。
高速駆逐艦の速力を生み出す強力な機関、高温高圧缶(ボイラー)の生産に手間のかかる島風型は、戦況の悪化により、同型艦が作られることはありませんでしたが、『島風』は、短い生涯の間に、その性能を遺憾なく発揮し、最速・最強を誇った、艦隊型駆逐艦の傑作といえます。
摩耶の護衛、武蔵の救助にも従事しました。
それでは!!m(__)m

艦船ランキング 人気ブログランキングへ
日本海軍最高速の駆逐艦、史上最強の重雷装駆逐艦、『島風』です。
「島風」は次世代の艦隊型駆逐艦として建造され、その高速性を利用し、目標となる敵よりも有利な位置まで一気に回り込み、船体の中心線に配した3基の「零式5連装魚雷発射管」から、最大3基同時発射で15射線という強力射線を実現できました。しかも、他国の魚雷と比べて、圧倒的に強力な酸素魚雷です。3基の5連装魚雷発射管も、艦の中心に配していますから、両舷、どちらでも15射線の魚雷攻撃が出来ました。
「島から吹いてくる風、または島で吹く風」が艦名の由来の『島風』、まさに高速艦を感じさせる艦名です(*‘∀‘)
『島風』の名は2代目で、初代も、当時の日本海軍の最高速記録を誇っていました。高速艦としての特色の伝統を引き継いだ命名でもありました。
タミヤ製の最新キットをメインにして、各種の島風専用・純正エッチングパーツや、汎用エッチングパーツ、多数の材料を使用し、必要箇所は自作パーツなども用いてスクラッチ製作し、可能な限りディテールアップしました。
今回は、最終時(1944年11月)の仕様にしています。
レイテ沖海戦の後、『島風』が参加した最期の作戦行動、『多』号作戦時の艦容にしています。
1944年11月8日、「第二水雷戦隊旗艦」を継承し実施した、レイテ島のオルモックへの兵員物資輸送作戦でした。
(第3次オルモック輸送作戦とも言われます)
機銃増強や、13号電探が装備され、マストの形状なども竣工時(1943年5月)とは少し変わっています。
出来るだけ画像を載せましたので、是非ご覧下さい!!
(画像はクリックすると高画質でご覧頂けます)




船体全体の塗装は、『島風』が竣工した、「舞鶴工廠」の塗装色で再現しています。舞鶴工廠で使用された塗料は、海軍標準色の中で、もっとも明るい色だと伝えられています。

「舞鶴工廠」は、一等駆逐艦建造において、主導的役割を担い、吹雪型、陽炎型、秋月型、松型、そして島風型など、一番艦を建造し、各工廠へとその技術が伝えられていたそうです。


艦橋の遮風装置は、丸みをお帯びて、やや複雑な形をしていましたが、精密度を上げるべく、フルスクラッチで作りました。
島風は、竣工時より、艦橋上部に22号電探(対水上警戒レーダー、ラッパ状のもの)を装備していたため、奇跡の作戦と言われる、「キスカ島撤収作戦」(1943年7月29日)での活躍が期待され、司令官に指名されました。
新鋭駆逐艦「島風」の高速性能も期待されて、作戦成功に、大きく貢献しました(*^-^*)

戦闘中を想定して砲塔、魚雷を可動させているのに合わせて、
右舷の信号旗は、「回答、C 円形 編成」を表すものを掲げています。

前部煙突と、後部煙突にある白帯は、「第二水雷戦隊」所属であることを表すマーキングです。

『多』号作戦時、島風は、「第二水雷戦隊旗艦」として、活動していました。「司令官 早川幹夫少将」が座乗していましたので、
「少将旗」をマスト最上部に掲げています。
このマストを作るのが、また大変でした~(>_<) 色々なサイズの真鍮線や銅線も組み合わせて、キットのパーツも再利用しながら、作りました。竣工時のマストとは形状が少し違う、後期型のマストになります。

レイテ沖海戦時は、煙突の帯マーキングの下に、「第二水雷戦隊 3番艦」を表す△(三角)の印もあったのですが、『多』作戦時は、旗艦であったため、今回は△の印は付けていません。

『島風』のために開発された、「5連装魚雷発射管」です!
この発射管は、島風以外の艦には、搭載されておらず、重雷装駆逐艦たる特徴の一つです。

魚雷発射管の資料を見ながら、多数の素材を使用に、ディテールアップさせました。側面の水密ドアの形状が少し他と違っていて、作り応えがある部分です。

発射管後ろの、手用ハンドル部分も再現しました。


5連装魚雷発射管を全て左舷に向けています。最大15射線の魚雷に襲われたら、回避が大変だったでしょうね( ;∀;)
そしてこのタミヤのキットは、砲塔や魚雷発射管の取り付けがポリキャップ仕様になっていて、完成後でも、お好きな角度に動かすことが出来ます。良いキットです♪
でも、動かす時には、他の繊細部分を破損させないように、最大限の注意が必要です💦


艦尾部分です。機銃の増備と、煙幕装置を取り付けています。
『島風』最後の戦闘、多号作戦時でも使用されたとのことです。

良く見ると一番後ろに1基ある小さな機銃は、「13㎜単装機銃」です。
94式爆雷投射機と同装填台、投下軌条×2組を設置し、プラ棒を細かく切って作った、爆雷も搭載しました。

本来は、ネームプレートは大戦中塗りつぶされていましが、
艦尾のネームプレートを見るのが好きなので、設置しています。(^^)

「島風」は、高速発揮に有利な少し細長い船体をしています。

島風の主砲、「50口径三年式12.7㎝連装砲D型」です。陽炎型は、「C型」で、最大仰角が40度でしたが、夕雲型と、この「島風」は「D型」で、最大仰角が75度まで引き上げられました。対空戦を考慮してのことです。

ご依頼主様のご希望で、左舷に向けて構えた模型にしています。躍動感がでました(∩´∀`)∩

後部マストのトップヤードの形状には、色々な説があるのですが、今回は、X(エックス)型にしました。特徴が出たと思います。




駆逐艦のアンカーチェーンは、とても細かいです。(*'▽')
ケーブルホルダー後ろの、ブレーキハンドルも再現しました。


艦橋窓のガラス表現が、キラリと光ます。

手との比較です。駆逐艦は、繊細です(;'∀')

「アクリめいと製ケース」に設置です。ぴったりと収まりました。綺麗です♪

5連装魚雷発射管を全て左舷に向けたシーンです。


ウェザリングを施し、仕上げとして模型全体にトップコート(つや消し)の保護コーティング塗装をしています。
レイテ沖海戦の後に、沈没した軽巡洋艦「能代」に代わり、第二水雷戦隊旗艦を継承した島風でしたが、浜波、長波、若月および5隻の輸送船団とともに、1944年11月11日、『多』号作戦での目標地点であるオルモック湾を目前にして、真珠湾攻撃時の日本海軍機の数に匹敵する、350機もの米群艦載機が襲来、3時間にわたって激闘を繰り広げたものの、輸送船団は全滅。島風も、この日午後5時10分、大爆発を起こして波間に消えていきました。
高速駆逐艦の速力を生み出す強力な機関、高温高圧缶(ボイラー)の生産に手間のかかる島風型は、戦況の悪化により、同型艦が作られることはありませんでしたが、『島風』は、短い生涯の間に、その性能を遺憾なく発揮し、最速・最強を誇った、艦隊型駆逐艦の傑作といえます。
摩耶の護衛、武蔵の救助にも従事しました。
それでは!!m(__)m

艦船ランキング 人気ブログランキングへ