1/700 【雪風】(天一号作戦 1945年)が完成しました!!
奇跡の幸運艦と言われた、駆逐艦、『雪風』(天一号作戦時 1945年)が完成しました!!
駆逐艦ならではの細かい部分が多くて、最後の方はたいへんでした(^^;)
春への希望を込めて製作しました!
フジミ製のキットをメインにして、各種の雪風専用・純正エッチングパーツや多数の材料を使用し、必要箇所は自作パーツなども用いてスクラッチ製作し、可能な限りディテールアップしました。
※事実上最後の連合艦隊の戦い、沖縄へ向かう、大和随伴時の姿です。
1940年1月の竣工時よりも、二号二型電探、十三号電探を装備し、対空兵装も大幅に強化されています。
(画像はクリックすると高画質でご覧頂けます)


・資料を参考にして、各所に防弾ロープを設置しています。

・雪風を表すマーキングを煙突に入れています。沖縄特攻時、他の艦艇のような菊水マークではなく、雪風はこのマーキングのまま沖縄へと向かいました。

・雪風は、天一号作戦時、『第二水雷戦隊』に所属していました。マストの信号旗には、その所属を表す旗と、『駆逐隊』を示す旗を掲げています。


・リノリウム押さえ金具は、均等になるように、極細金属線で再現しています。

・九二式61㎝4連装魚雷発射管4門2基も、ジャッキステーや水密扉などを製作し、精密感を上げています。軌条レールもエッチングパーツで作り直しました。魚雷の台車をレールの上に設置しました。

・『25mm3連装機銃』『25㎜単装機銃』を全て高精度なエッチングパーツに換装しています。
雪風は、16回以上の主要な作戦に参加し、その中で戦果を上げつつ一度も大きな損傷を受ける事なく終戦を迎え、奇跡の駆逐艦と呼ばれました。
雪風は、この『天一号作戦時』の大和沈没後も航行に支障はなく、雪風の寺内正道艦長は作戦の継続を考えていたそうです。しかし、中止が命じられると、漂流者を救助して、帰路につきました。
戦後は、戦時賠償艦として中華民国に引き渡され、第二の艦歴も歩みました。引き渡しの際、完璧に整備された姿に、連合国側は驚愕していたそうです。その後、1971年に解体されると、舵輪と錨が日本に返還され、現在も江田島の旧海軍兵学校に展示されています。
不思議な艦ですよね(^^)
でも、4月からの新生活に、この幸運艦のお力を頂きたいものです。
それでは!m(__)m

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駆逐艦ならではの細かい部分が多くて、最後の方はたいへんでした(^^;)
春への希望を込めて製作しました!
フジミ製のキットをメインにして、各種の雪風専用・純正エッチングパーツや多数の材料を使用し、必要箇所は自作パーツなども用いてスクラッチ製作し、可能な限りディテールアップしました。
※事実上最後の連合艦隊の戦い、沖縄へ向かう、大和随伴時の姿です。
1940年1月の竣工時よりも、二号二型電探、十三号電探を装備し、対空兵装も大幅に強化されています。
(画像はクリックすると高画質でご覧頂けます)


・資料を参考にして、各所に防弾ロープを設置しています。

・雪風を表すマーキングを煙突に入れています。沖縄特攻時、他の艦艇のような菊水マークではなく、雪風はこのマーキングのまま沖縄へと向かいました。

・雪風は、天一号作戦時、『第二水雷戦隊』に所属していました。マストの信号旗には、その所属を表す旗と、『駆逐隊』を示す旗を掲げています。


・リノリウム押さえ金具は、均等になるように、極細金属線で再現しています。

・九二式61㎝4連装魚雷発射管4門2基も、ジャッキステーや水密扉などを製作し、精密感を上げています。軌条レールもエッチングパーツで作り直しました。魚雷の台車をレールの上に設置しました。

・『25mm3連装機銃』『25㎜単装機銃』を全て高精度なエッチングパーツに換装しています。
雪風は、16回以上の主要な作戦に参加し、その中で戦果を上げつつ一度も大きな損傷を受ける事なく終戦を迎え、奇跡の駆逐艦と呼ばれました。
雪風は、この『天一号作戦時』の大和沈没後も航行に支障はなく、雪風の寺内正道艦長は作戦の継続を考えていたそうです。しかし、中止が命じられると、漂流者を救助して、帰路につきました。
戦後は、戦時賠償艦として中華民国に引き渡され、第二の艦歴も歩みました。引き渡しの際、完璧に整備された姿に、連合国側は驚愕していたそうです。その後、1971年に解体されると、舵輪と錨が日本に返還され、現在も江田島の旧海軍兵学校に展示されています。
不思議な艦ですよね(^^)
でも、4月からの新生活に、この幸運艦のお力を頂きたいものです。
それでは!m(__)m

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