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1/700 日本海軍 航空母艦 【飛龍】(1942年 ミッドウェー海戦時)
完成しました!!! 詳細画像も追加です!!㉟
フジミ製のキットをメインにして各種の専用エッチングパーツや、汎用エッチングパーツ、多数の材料を使用し、必要箇所は素材から自作パーツなども用いてスクラッチ製作し、可能な限りディテールアップしました。
製作年次は、1942年6月の「ミッドウェー海戦時」の姿、
甲板艦首に大きく描かれた対空識別用の日の丸が印象的です。
ミッドウェー海戦では、僚艦、「赤城」、「加賀」、「蒼龍」が大破炎上したあと、たった一隻健在し、乗艦する第二航空戦隊司令官、『山口多聞 少将』は、ただ一隻で反撃を決意。寄せ集めの残存艦上機で、米機動部隊に二波の攻撃をかけて、空母ヨークタウンを大破(航行不能)にするなど孤軍奮闘しました。ヨークタウンはその後、伊-168が撃沈。
ミッドウェー海戦の臨戦態勢を整え、バリバリにやる気に満ち、たったの一艦で米機動部隊に戦いを挑んだ奮戦力闘の飛龍の再現をコンセプトにして、製作していきました。
出来るだけ画像を載せましたので、ご覧下さい!!
(画像はクリックすると高画質でご覧頂けます)
・飛行甲板にタイヤの跡を付けたり、艦上機なども汚しを強めにして、ミッドウェーの激戦奮闘を感じるように進めていきました。
・飛龍の外見上最も目立つのは、左舷中央に島型艦橋(アイランド)を配置している点で、左舷に艦橋を配置しているのは世界の空母の中でも珍しく、日本では改装後の赤城とこの飛龍の2隻のみでした。
・マストには、飛龍が所属していた、「第一航空艦隊 第二航空戦隊」を表すものや、「飛龍」を示すもの、また、ミッドウェー海戦時に旗艦として第二航空戦隊司令官、「山口多聞」少将が乗艦していましたので、
「少将旗」などを掲げています。
・まさに発艦していく場面にしたかったので、プロペラを回したエッチングパーツを用いて、動きが見えるように塗装し、配置しました。
・米空母「ヨークタウン」への第一次攻撃隊の編成をイメージして飛行甲板に搭載しています。
内訳は、「零戦21型=6機、九九式艦爆=18機」とし、他に第二次攻撃隊で出撃する準備として「九七式艦攻=3機」を甲板の一番後ろに設置しました。
・コクピットの内部のシート部分や、シートベルトも、スクラッチで製作し塗装しました。
・九九式艦爆は、全て爆装してあります。
・米空母「ヨークタウン」への第二次攻撃の際に出撃する「九七式艦攻」です。まだ、整備中というイメージで、タイヤの前に「輪止め(チョーク)」も置きました。
ミッドウェー海戦時の爆装から、魚雷に換装しているバタバタのシーンを表現しています。
・海戦始め、ミッドウェー島基地への第二次攻撃を想定して、地上用爆弾を装備していましたが、味方偵察機から「敵空母発見」の報が入り、指揮官たちも迷ったあげくに、大急ぎで魚雷に換装することになりました。
その換装中の合間に、味方の「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の空母3隻が攻撃を受け、撃沈しました。
ただの一隻、無傷で健在していたのが、この「飛龍」でした。
格納庫や甲板には、魚雷や爆弾がゴロゴロと転がっていたとのことです(^^;)
魚雷換装には、どんなに急いでも、2時間はかかるそうです。
(しかし、その作業を飛龍では、手空きの搭乗員や作業員も動員して、30分ほどで全機雷装をやりおえたという証言もあります)
・艦首の様子です。
・甲板前部の風向標識にある設備で、艦上機が発艦する際の風向きの安定を見る、「蒸気吹き出し口」の水蒸気表現を加えました。
搭載機を発進するために、母艦は風上に向かって高速で走り、「合成風速」得ていました。このとき、艦が風上に向かって直進しているかどうかを甲板の先端から蒸気を噴出させて風向標識で確認していました。
コットンを着色して取り付ける、とてもシンプルな表現なのですが、水蒸気の量の加減がとても難しいところでした。
水蒸気は、映画の日本機の発艦シーンなどでも確認することができますよ(^^)
・日本空母の特徴、傾斜煙突です。
ウェザリングの場面、雨だれ、汚れの跡が、個人的に好きです♪
そして、一つ一つ気持ちを込めて表現しました。
・艦尾部分です。
この場所の入れ込み、飛行甲板取り付け調整が本当に大変でした。
・トラス構造が広がっています。
甲板裏の揚収用の走行クレーンも設けられています。
・「ひりゆう」の艦名も取り付けています。
・この狭い後部甲板に、合計9隻ほどの短艇類が搭載されています。
かなりぎゅうぎゅうで、飛行甲板を取り付ける際も細心の注意が必要です( ;∀;)
短艇類取り付け画像関連ブログ→
http://seisekimokei.jp/blog-entry-358.html
・太平洋戦争から1942年4月のインド洋作戦まで、まさに向かう所敵なしの活躍をしました。セイロン島沖海戦(1942年4月)での第二航空戦隊、艦爆隊の命中率は、空前絶後の82%という結果でした!
・ミッドウェー海戦時の甲板の「日の丸」がとても目を引きます。
そして、甲板周りに設置されている、落下防止用の「人員救助網」というものは、新造空母としては、蒼龍・飛龍が最初の装備で、蒼龍・飛龍の航空艤装は、後の日本空母の標準となったものといってよく、両艦が実用型空母としての評価が高いゆえんになっています。
・鉄甲板部分には、「特殊塗料」が塗布されていたというのを基本イメージにして、表面処理の色味を場所によって少しづつ変えて塗分けています。
艦橋部分です。
ミッドウェー海戦らしく、各所に「マントレット」や「防弾ロープ」を設置しています。
・艦橋の扉の近くに、甲板移動の自転車も駐輪させています。
作ってみたかったんです♪
・防空指揮所です。
網上のグレーチング部分や、九四式高射装置の台座の形状など、説明できないぐらい自作で作りこんでいます。
九四式高射装置は、ミッドウェー海戦仕様で「白」で塗装しています。
・艦橋の作り込みの参考資料として、「艦船模型スペシャル、No.81・No.82(ともに2021年)」の最新・飛龍考証の特集記事も参考にして製作しました。
・カッターボートは、本当にラジアル型ボートダビットのフックに吊り下げています。
※この9メートルカッターで、飛龍が沈みゆくなか、艦底に閉じ込められた機関科員が辛くも脱出するというエピソードがあります。
39名が9メートルカッターで脱出して、15日間漂流、5名の方が飢餓と渇き、疲労などで衰弱して亡くなられたそうです。
34名が米艦に救助されました。
・零戦部隊と艦橋です。
参考資料であった、飛龍の甲板側に設置してある「黒板」の色がリノリウム色で塗られていたというのが、とても新鮮に感じました。
「黒板」の下にある、「チョーク」の入れ箱や「踏み台」も再現しました。
・マストにある赤い、円錐状のもの、「速力標」をプラ棒などを用いて自作しました。
苦労したようには見えないかもしれませんが、かなりの高難易度、ハイレベルな工作でした(^◇^;)
今回の飛龍全体の中でも3本指の中に入るかもです・・・。
でも、立体的に出来て、自作なのでサイズ感も調整できたのでよかったです ^^) _旦~~
スクラッチの「吹き流し」も取り付けています。
・艦橋の形状が準姉妹艦の蒼龍よりも一層多く、艦橋の長さも蒼龍よりも長く、作戦室が設けられていたのも、ミッドウェー海戦で飛龍が「旗艦」になった理由といわれています。
・各・艦上機に機体番号を付け、胴体に「第二航空戦隊 飛龍 所属」を示す青帯を入れています。
・飛龍・飛行隊長、ミッドウェー島空襲の総指揮官・米空母ヨークタウンへの総指揮官として出撃した「友永丈市」大尉の機体(後世「友永攻撃隊」と呼ばれます。)や、艦爆隊長「小林道雄」大尉の機体など、各・隊長機も搭載しました。
※「友永丈市」大尉は、空母「ヨークタウン」に向けて魚雷を投下して命中、そしてみずから艦橋へ体当たりするという壮絶は最後を遂げました。画像中央にあるのが、友永大尉の機体です。
・艦爆隊長「小林道雄」大尉の機体です。
小林大尉は、ヨークタウンへの第一次攻撃の際に帰らぬ人となっています。
・零戦の隊長機は推測になりますが、「重松 康弘」大尉の機体や、小隊長機も作りました。
・小隊長機です。
ミッドウェー海戦の激戦感を出すために、かなり汚しを強めにしてあります。
・ミッドウェー海戦時のバタバタ感を出すために、機体番号は順番ではなくて、バラバラで取り付けています。機体設置順も、まぜこぜの順番にしました。実際には、赤城、加賀、蒼龍所属の艦載機もみんな飛龍に着艦していたらしいので、赤帯の機体などもあったりして、もっと寄せ集めの混成部隊になっていたのかもしれません(;'∀')
・12.7㎝連装高角砲です。上空を狙うように製作しました。
防弾ロープを密集させ、臨戦態勢を整えます。
・右舷後方にある、シールド付きの12.7㎝連装高角砲です。
煙突からの煙を防ぐ目的でカバーが取り付けられました。
高角砲の前後にある、赤と緑の「着艦誘導灯」は、蒼龍・飛龍から始まった新装置で、世界に先んじた着艦システムだったそうです!!この方式は、戦後、アメリカ、イギリス空母にも採用され、改良されて現在でも使われています!(=゚ω゚)ノ
・画像中央の艦上機落下防止網の下に見えている日本海軍の有名な「25ミリ3連装機銃」ですが、これも「飛龍」が一番最初に装備した空母とのことです( ^^) _U~~
・左舷後方の12.7㎝連装高角砲のブルワークには、マントレットを取り付けました。
・発艦時を想定しているため、「起倒式無線マスト」の4本は全て倒しています。
・左舷前方の12.7㎝連装高角砲、砲身の先端を黒で塗装し、スミ入れで汚しています。
・「係船桁」です。
自作で固定金具なども取り付けて精密化しています。
・艦橋窓のガラス表現の様子です。キラリと光るようになっています✨
マウントレットは自作で、一本一本スジボリして取り付けています。
・珍しい左舷中央部のアイランド艦橋ですが、右舷の煙突との重量バランスを保つうえでのメリットなどはあったのですが、搭載機のプロペラの回転方向の関係で気流の乱れを生じてしまい、発着艦に不具合があり、あまり好ましい結果は得られなかったそうです。
しかし、こういったデメリットを踏まえて、次の最新鋭空母「翔鶴型」へとつながっていきます!!
・このアングルは、飛龍資料の有名な全体写真と同じような角度で撮影したものです(*‘∀‘)
・江ノ島での野外撮影時の画像です。
自然光に照らされて、艦が生き生きと写ります♪
・ディスプレイケースの台座に海面シートを設置し、ネームプレートも制作しました。
・筆と指との比較画像です。
各所の細かい塗分けがとても記憶に残る作品となりました。
そして、この艦橋下の甲板部分で、艦長以下、上級幹部が椅子を5、6脚半円に並べて搭乗員室上の換気窓から流れてくる、蓄音機から掛けられたレコードを聴いていたというエピソードもあるみたいですよ♪
模型全体に、つや消しによる保護コーティング塗装を行っています。
一隻で奮戦した飛龍でしたが、ついに搭載機が消耗して力尽き、6月5日午後2時頃、米艦載機による奇襲をうけ、急降下爆撃により4弾が艦橋右側前方付近の飛行甲板に命中し、前部昇降機は吹き飛ばされ、付近の飛行甲板は完全に破壊され、火災をおこしました。そして、ついに総員退艦となり、駆逐艦巻雲の魚雷で処分されました。
飛龍は、ミッドウェー海戦参加の日本空母中、最も搭載機搭乗員の戦死者が多い艦となりました・・・。
しかし、驚くのは、翌6日に、九六式艦攻が、まだ沈没せずに漂流中の飛龍を発見したということです!(=゚ω゚)ノ
破壊されながらも、ものすごい浮力ですよね!ダメージコントロールさえしっかりしていれば、沈没は免れたかも知れません。
しかしその後、同午前中に、沈没が認められたそうです。
第二航空戦隊司令官、「山口多聞」少将は、飛龍 艦長、「加来止男」大佐と一緒に旗艦と運命を共にしました。
※「飛龍」には、様々な生存者の方々の貴重な「手記」があり、読んでみると飛龍の最後の姿、兵員の様子、思いが詳しく伝わってきます。
是非読んでみて下さい!
それでは!m(__)m
※参考図書・資料
・日本海軍航空母艦 蒼龍&飛龍(丸 2023年5月別冊 潮書房光人新社)
・日本海軍艦艇写真集⑥(空母 翔鶴・瑞鶴・蒼龍・飛龍・大鳳・雲龍型 光人社)
・軍艦メカニズム図鑑(日本の航空母艦 株式会社グランプリ出版)
・日本空母完全ガイド(3D CGアーカイブ 双葉社スーパームック )
・図解でわかる!空母のすべて(株式会社 ワン・パブリッシング)
・艦船模型スペシャル2021年 No,81・No,82(有限会社 モデルアート社)
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◆「X (エックス)」や「ホームページ」もございますので、宜しければご覧ください。
<リンク>
・模型製作工房 聖蹟 「X(エックス)」
・模型製作工房 聖蹟 「ホームページ」
・飛龍(ミッドウェー海戦時②)「ブログ製作日誌」 カテゴリ リンク
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